こんな私ですが、よろしくお願いします
『涅槃経』には「一切衆生 悉有仏性」という言葉があります。生きとし生けるもの(人間や動植物すべて)には、みんな仏様の心があるということです。
私達には、もともと仏様のような優しい心があります。優しい心があるのに、生きていく中で「私が、私が」という自我(煩悩)に支配されてしまい、優しい心が無くなってしまうのです。 自我の無い優しい心とは、いったいどのような心の状態でしょうか。
私が思うのは、人の言うことが素直に聴ける状態、教えやアドバイスが素直に聴ける状態の時こそ、無我の状態ではないかと考えています。子どもが学校の先生や親の言うことを聴いていても、全然その教えがお腹の中に入らない時、それは「自分が、自分が」という自我に支配されているのではないでしょうか。大人になっても、幾つになってもこの自我との闘いが続きます。調子よく働いていても、自分中心の世界では、周りが見渡せません。アドバイスも聴けません。人間には常に懺悔や反省が必要です。
浄土宗の御祖師様である善導大師様も法然上人様も、繰り返しその重要性を示していただいています。せっかく仏様に手を合わせていても、自我の固まりでは、仏様が私達の体の中に入らないのです。 「お願いします。お願いします。」と自分の願いだけを主張するだけでは自我が出過ぎています。
繰り返される懺悔と反省の中から、「こんな私ですが、よろしくお願いします」という言葉で、静かに仏様に手を合わせ、頭を下げたいものです。
合掌
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